3.11

あの地震から1年です。
元の生活など到底取り戻せていない状況…まだまだ時間がかかりそうです。
隙間三業、ライブ時でもお願いしたりしておりますが、継続して活動しております。
趣旨に賛同頂き、お気持ちを頂いた方には、メンバースタッフ、こころから感謝しております。
少しずつですが、頂いたものもありますので反映させていきたいと思っておりますので、宜しくお願い致します。

さて、ざっと昔の記事等読み直してみると、特に海外メディアの日本人の冷静で礼儀正しい行動を称賛するものが目立っていた。
とかく、海外で災害にあったら生き延びたとしても今度は自己防衛やら個人で生き延びるための手段を模索しなければいけない事を考えれば、隣人の心強さも感じれる日本は強いと思った。
もちろん他国に評価されることは日本人として純粋に嬉しい気もしているが、果たして本当にそう総括していいものだろうか。
確かに某国にありそうな、略奪や非人道的行為は世界レベルで見たらごくわずかであったであろう。
だが決してゼロではなかったはず。

人として生きるために生まれてきた。
即ち生きる事が最大の使命なのである。
非常時、寒くて震えている時、瓦礫の下から見つけた毛布にくるまって暖をとる。それは窃盗であるか。
暴徒と化し、略奪することでしか生き延びる手段を見いだせなかったら、その答えは。
極論で話しているし、線引きなんて出来やしない。
原理原則に従うことが真っ当だとしても果たして、極限状態非常時に陥った時、僕はどう答えをだすのだろうか。
未だに答えはわからない。
ただ、考えても見つかるものではないと思うし、出てくるものだと思う。ていうか、出す。

そんな時、数年前に亡くなった祖父らを思い出す。
父方の祖父も母方の祖父も、出兵しそして帰ってきた。
そのお陰で、僕がいる。
少なからず僕らより死地をかいくぐった経験があったであろう。
経験に基づく、教えを乞いたいわけではない。
生き様が示してくれていたものもあったから。

乱文ですみません
マル
ダイゴ