10 歳の頃

数日前ではあるが石原都知事が『被災地には電力需要を支えてもらっているから
、あらゆる手立てを講じていく』との発言があった。
それを聞き、ふと思い出したことがある。

僕が小学校3年生だったか、4年生だったか…
刈羽原子力発電所にバス見学に出かけた時のことだ。

工場見学等の課外授業が大好きだった僕は、大きくぴしっとした建物が整然と並
んでいる姿を見て、ドキドキしていた。
電力会社の人の説明で、神々しく光る未来へとつなぐ施設だと聞き、まだ見ぬ未
来にワクワクしたのだ。

だが、帰りのバスの中、担任の先生が送電線が立ち並ぶ山を指さし『あの原発で
作った電気は東京に運ばれている』
そう聞いて、なんだかショックだった。
電気のおじさんから聞いた明るい未来までもが持っていかれているような一抹の
寂しさがあったのを覚えている。

そんな僕は現在東京都民。
僕の地元からも、東北からも運んできてくれている電気を使って僕らは表現させ
てもらっている。
だからこそ、出来ることは出来るだけ力になりたいと思っています。

あの地震から1週間以上過ぎた今でも未だに近所のスーパーやコンビニは水、ティ
ッシュ、カップラーメン等が『0(ゼロ)』。
1日でも早く被災地で避難生活を送られている方々に届いて欲しいと願うばかりで
す。

なんか色々当時を思い出していたら…
地元の友達に会いたくなった

マル

だいご